美麗な独創 公式ブログ

化粧品販売業を開業した「男性美容部員」である稲葉より、化粧品の裏話や成分まで、一歩踏み込んだ知識と情報をご提供。

化粧の興味深い歴史。

 

化粧品の歴史は古く、約5.000年前からタールや水銀を原料にした化粧品が開発されており、エジプトやアラブといった地域では、すでに軟膏状の香粧品などが使用されていました。

特に、エジプトでは香料の取引も盛んに行われていたことが、史料に残されています。

中国においても夏王朝創始時代に粉が作成されていたことが述べられていまして、秦の始皇帝宮廷においては、顔を紅で紅く、眉を緑に塗る「紅粧翠眉」と呼ばれる化粧をしたといいます。

これが、眉を描き化粧した初めと言われております。


一方、日本では上古時代はほとんど外国との通商がなく、固有の風俗で暮らしており、原始的な赤土装飾が行われていました。
古代の化粧に関しては「古事記」や「日本書紀」に記載が見受けられ、これらが化粧について記述された始まりとされています。

 

神功皇垢三韓征伐の時代になると、大陸文化が日本へ、人とともに流れ込み、上流社会においては鉛白白粉や香油が使用されていました。

推古天皇時代になると、「べに」の原料になる紅花の種子が初めて、高麗僧雲徴によって持ち込まれました。
それから改新を経て、役50年後に国産の白粉が制作されたと日本書紀に記されています。

 

--平安時代以降--

平安時代になると遣唐使の廃止により、日本独自の文化や習慣が芽生えます。
栄花物語源氏物語枕草子などに記されているように、白く白粉を塗った顔に長い髪をおろし、眉毛は全部抜き、眉墨で眉を描きました。

唇は小さく見せるために下唇にだけ少し紅を塗る化粧が主流となりました。

顔を白く塗ると歯の色が目立つので、歯を黒く塗りました。これが「お歯黒」です。

爪には「鳳仙花」を使って爪紅(マニキュア)もするようになりました。

眉の書き方は、性別や年齢、身分、階級によって様々な書き方がありました。

 

--鎌倉時代--

この時代においては、あまり白粉を塗らない化粧法に変化し、鉛白粉や水銀白粉をヘチマ水で練り上げた練白粉を使用しました。

貴族中心の習慣であった眉化粧が一般にまで広まり、眉型は自然眉に近付き、一文字眉になりました。

 

--戦国時代--

戦国時代では、戦に挑む武士は、敵に首を取られても醜くないように化粧をする風潮が生まれました。(白粉や眉墨)

 

--江戸時代--

江戸時代初めになると、化粧は一般庶民にまで幅広く浸透し、「健康美」が生まれ、白粉に紅を混ぜて頬紅(チーク)として使われていました。

当時の女性の教養書である「女鏡秘伝書」によると、「化粧を濃く塗るのは卑しいことである」と説き、薄化粧を推奨しています。

これが、化粧が女性の身だしなみとして定着した頃です。

 

江戸の中期以降になると、町人文化の繁栄とともに、様々な文化が発展しました。

化粧法としては白粉を塗り、眉を描き、唇に紅を塗る。という基本のスタイルは変わりませんでしたが、時代によって特徴的なスタイルが流行し、それらを主導していたのは歌舞伎役者遊女達でありました。

この頃には色々な種類や銘柄があり、粒度によって分けられた生白粉、舞台白粉、唐の土が販売されていました。

「生白粉」が最上級とされており、一般的には「唐の土」が使われていました。

他にも香りを付けた調合白粉も販売されており、「丁子香」「蘭の香」「菊の露」「油の香」というような商品名を付けて販売されていました。

 

 

この頃には「お歯黒」は儀礼として形が残りました。

結婚と同時に歯を染め、出産と同時に眉を剃るようになったことから、一般的に眉なしお歯黒は、既婚者の証とする風習となりました。

 

--明治時代--

明治維新以降は西洋文化が続々と上陸し、明治三年にはお歯黒と眉を剃る事が禁止されました。

明治6年には皇太后、皇后女官の歯黒掃眉が廃止されたことに伴って、一般の女性達も禁止になりました。

 

この当時の化粧品は未だに鉛白白粉と紅花から作られた紅くらいであったが、この時期に無鉛白粉が開発されました。

その理由は、歌舞伎の九代目団十郎中村福助が鉛白粉による慢性鉛中毒となり、梨園や華街のように、毎日白粉を塗らなければならない人たちだけでなく、一般庶民に至るまで大変な騒ぎになったからです。

 

明治11年には平尾商店というお店から「化粧水」として「小町水」が販売されました。

それを火種に、次々に様々な化粧水が世に出回り、化粧水ブームが起きました。

さらに明治後半になってやっと、「化粧品」という概念が確立されました。

それまでは売薬問屋が販売している薬の部外品として取り扱われていたもので、商品価値が大変低かったのです。

そして新聞や雑誌などによる宣伝は活発になり、化粧品産業の基礎が固まった時代です。

 

--大正時代--

この頃にはメイクアップ化粧品、基礎化粧品、香水、石鹸、歯磨き粉などの洋風化粧品の種類が増し、一般大衆までに広まりました。


--昭和~現在--

昭和初期は化粧品にとどまらず化粧法までも多種多様化しはじめた時代です。

仕上がりに合わせてベースメイクを変化させる手法、

リップスティックの登場、

アイシャドーを使った目元の化粧の流行など。

洗顔も重視されはじめた時代であり、洗顔クリームが登場したのも、この時代でした。

第二次世界大戦終了後にはグローバル化が著しく進行し、メイクアップ化粧品、基礎化粧品、フレグランス、男性用化粧品などと、化粧品だけでなく化粧法までも世界共通のものとなりました。