美麗な独創 公式ブログ

化粧品販売業を開業した「男性美容部員」である稲葉より、化粧品の裏話や成分まで、一歩踏み込んだ知識と情報をご提供。

スキンケアレビュー エスティローダー マイクロエッセンス(化粧水)

化粧品レビュー!

最初のレビューは、エスティローダーマイクロエッセンス

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以下、HPより抜粋

日本女性のために開発された、ダメージ(*1)を受けにくい肌を目指す化粧水。

ダメージ(*1)を受けにくい、すこやかな肌のための独自開発成分「マイクロ ニュートリエント バイオファーメント(*2)」を搭載。
一滴一滴が、まるで封じられた扉を開け放つマスターキーのように、美しさの起源へ、つぎつぎとアプローチ。
水分を蓄える自らの力を守り、ダメージ(*1)因子に左右されにくい肌環境を支えながら、活き活きと、すこやかなコンディションを保ちます。

濃密なうるおいで土台から揺るがない(*3)肌だけが持つ、若々しい輝きと、やわらかさ、しなやかさを、いつの日も。

*1 乾燥などによる
*2 水、ビフィズス菌発酵エキス、乳酸桿菌発酵液、アセチルヘキサペプチド-8を配合し、うるおいにより肌をすこやかに保つ複合成分
*3 美しい肌の土台であるすこやかな状態を保つ

お値段は 
150mL   税込¥12,420 ( 本体¥11,500 )

 成分ですが、精製水の次に「ビフィズス菌発酵エキス」が書かれています。
2番目に多く含まれていることを示します。
つまりこの商品の、主力となる訴求性分です(^^♪
ビフィズス菌由来の成分で、紫外線や加齢からくるダメージを補修する、肌本来の力を助ける作用があります。
エスティローダーの提唱する、「昼間に受けたダメージを、治癒力の高い夜間に修復する」のコンセプトに基づいて作られた商品であることが分かりますね!


その次に書かれているのが「PEG-75」
これは酸化防止剤で、界面活性剤の一種ですが、水溶性で刺激は少なく、多くの化粧品に見られますね。
肌への浸透を助けてくれる半面、稀にアレルギーを起こす成分でもあります。

本題!
液体は無色透明、香りは控えめです。
手に取ってみると、少しとろみがありますが、コットンには難なく染み込んでくれます。
いざ、お肌につけてみると、少しヒンヤリした感覚。
使い心地は、とろみのおかげか、大変気持ちが良いと思います。
付け終わってみると、少しだけ油膜が残るような感覚ですが、ベタ付きはしません。
程よいと思います。
気になる変化ですが、「潤ってる!」と実感の持てる商品です(^^♪
肌が柔らかくなりますよ♪

しかし!
成分は特定できていませんが、少し肌が火照りました。
「カッカする」という表現が良いのでしょうか、アルコール感を感じます。
赤くなったり、ヒリヒリしたり、チクチクしたりはしませんでしたので、気にせず使っています。
ちなみに含まれている防腐剤は「フェノキシエタノール」といって、天然由来の成分ですが、刺激や毒性ではパラベンと同等とされています。

ともあれ、私は好きな商品です!
とろみ、使い心地、使用感、どれも満足できました。
感じ方には個人差がありますので、あくまで参考までに♪

評価 ★★★★☆

 

合成界面活性剤についてのお話。

「界面活性剤」=「悪いもの」というイメージが根付いていますが、界面活性剤すべてが悪いかというと、そうではありません。
界面活性剤がなければ、体も顔も髪も洗うことができませんし、洗濯や食器洗いも出来なくなってしまいます

生活できないも同然です。

無添加石けんには界面活性剤が入っていない」勘違いされている方もいらっしゃいますが、無添加石けんだって界面活性剤です。
一部のメーカーが「そう思わせるような表現」を使っているのも事実です。


根本的に界面活性剤とは何か?
水と油は混じりませんが、界面活性剤は水とも油とも混じりあいます。

その性質を利用して、油分を含んだ汚れを落としたり、スキンケア用品では水と油を混ぜ合わせたりしているのです。


ただ、界面活性剤が肌や髪の負担になることは事実です。

肌や髪は、水分が外に逃げて乾燥しないように、表面に油分の膜があります。

その油分の膜は界面活性剤によって一部剥がれてしまいますので、界面活性剤をむやみに使うと、肌や髪の水分が失われてしまいます。

石鹸で髪の毛を洗うと、驚くほど泡立ち驚くほどギッシギになってしまいます。



大昔から洗浄剤として、石けんが一般的に使われてきましたが、石けんはミネラルとの相性が悪く、水道水が硬水であるヨーロッパでは泡立ちが悪くなってしまい、不便なものでした。

そこで、現れたのが石油系合成界面活性剤である「ラウリル硫酸Na」。これは硬水でもとても泡立ちがよく、ヨーロッパでは体も顔も、「ラウリル硫酸Na」が使われました。

しかし、刺激が強く、毒性があるとも言われ、また、肌深くまで浸透する性質があって、多くの肌トラブルを起こしました。

 

当然そんなもの長く使えません。


この弱点を改善したものが「ラウレス硫酸Na」です。これは刺激や毒性といったものには変わりがありません。

違いは肌深くに浸透しない構造になっています。

これは優秀で、肌トラブルは劇的に改善され、今でも世界中のシャンプーの代表的な洗浄成分となっています。


ただ、この「ラウレス硫酸Na」も「ラウリル硫酸Na」もどちらも洗浄力はとても強く、肌の水分を保つために肌表面にある油分を取り過ぎでしまい、乾燥させてしまって、痒みを訴える人が後を絶ちませんでした。そのため、今では洗いあがりに肌に吸着する、何かしらの保湿成分と併用して使用されています。ですが、洗いあがり感を改善しているだけで、肌や髪にダメージを与えていることには変わりありません。

界面活性剤の研究は続けられていて、適度な洗浄力で、刺激や毒性のないものも開発されています。
なのになぜ、その肌や髪にダメージを与えてしまう成分が、いまだにこれだけ多くのシャンプーやボディーソープに使われているのでしょうか。
その一番の理由は値段です。「ラウレス硫酸Na」以降にその弱点を克服して開発された界面活性剤は5倍~10倍の値段になってしまっているものがほとんど。


ですが、市場のシャンプーやボディーソープに対する価格イメージは「ラウリル硫酸Na」が多く使われていた時代から、ほとんど変わってなく、今でも500mL・500円以下で販売しなければいけない状況があるのです。その結果として、多少の肌や髪への負担を犠牲にしてでも「ラウレス硫酸Na」のようなものを使わなければならなくなってしまっているのです。

もちろん、「ラウレス硫酸Na」を使っていたとしても、各メーカーできる限りの安全性を確認していますし、使う方の髪や肌の状態によっても負担のかかり方、また、その負担を自己修復してリセットするチカラも変わります。ですので、「ラウレス硫酸Na」が入っていては絶対にダメというわけでもないと思います。また、価格だってとても大切なことで、毎日使うものだからこそ、経済的な負担もできる限り少なくするべきです。

化粧の興味深い歴史。

 

化粧品の歴史は古く、約5.000年前からタールや水銀を原料にした化粧品が開発されており、エジプトやアラブといった地域では、すでに軟膏状の香粧品などが使用されていました。

特に、エジプトでは香料の取引も盛んに行われていたことが、史料に残されています。

中国においても夏王朝創始時代に粉が作成されていたことが述べられていまして、秦の始皇帝宮廷においては、顔を紅で紅く、眉を緑に塗る「紅粧翠眉」と呼ばれる化粧をしたといいます。

これが、眉を描き化粧した初めと言われております。


一方、日本では上古時代はほとんど外国との通商がなく、固有の風俗で暮らしており、原始的な赤土装飾が行われていました。
古代の化粧に関しては「古事記」や「日本書紀」に記載が見受けられ、これらが化粧について記述された始まりとされています。

 

神功皇垢三韓征伐の時代になると、大陸文化が日本へ、人とともに流れ込み、上流社会においては鉛白白粉や香油が使用されていました。

推古天皇時代になると、「べに」の原料になる紅花の種子が初めて、高麗僧雲徴によって持ち込まれました。
それから改新を経て、役50年後に国産の白粉が制作されたと日本書紀に記されています。

 

--平安時代以降--

平安時代になると遣唐使の廃止により、日本独自の文化や習慣が芽生えます。
栄花物語源氏物語枕草子などに記されているように、白く白粉を塗った顔に長い髪をおろし、眉毛は全部抜き、眉墨で眉を描きました。

唇は小さく見せるために下唇にだけ少し紅を塗る化粧が主流となりました。

顔を白く塗ると歯の色が目立つので、歯を黒く塗りました。これが「お歯黒」です。

爪には「鳳仙花」を使って爪紅(マニキュア)もするようになりました。

眉の書き方は、性別や年齢、身分、階級によって様々な書き方がありました。

 

--鎌倉時代--

この時代においては、あまり白粉を塗らない化粧法に変化し、鉛白粉や水銀白粉をヘチマ水で練り上げた練白粉を使用しました。

貴族中心の習慣であった眉化粧が一般にまで広まり、眉型は自然眉に近付き、一文字眉になりました。

 

--戦国時代--

戦国時代では、戦に挑む武士は、敵に首を取られても醜くないように化粧をする風潮が生まれました。(白粉や眉墨)

 

--江戸時代--

江戸時代初めになると、化粧は一般庶民にまで幅広く浸透し、「健康美」が生まれ、白粉に紅を混ぜて頬紅(チーク)として使われていました。

当時の女性の教養書である「女鏡秘伝書」によると、「化粧を濃く塗るのは卑しいことである」と説き、薄化粧を推奨しています。

これが、化粧が女性の身だしなみとして定着した頃です。

 

江戸の中期以降になると、町人文化の繁栄とともに、様々な文化が発展しました。

化粧法としては白粉を塗り、眉を描き、唇に紅を塗る。という基本のスタイルは変わりませんでしたが、時代によって特徴的なスタイルが流行し、それらを主導していたのは歌舞伎役者遊女達でありました。

この頃には色々な種類や銘柄があり、粒度によって分けられた生白粉、舞台白粉、唐の土が販売されていました。

「生白粉」が最上級とされており、一般的には「唐の土」が使われていました。

他にも香りを付けた調合白粉も販売されており、「丁子香」「蘭の香」「菊の露」「油の香」というような商品名を付けて販売されていました。

 

 

この頃には「お歯黒」は儀礼として形が残りました。

結婚と同時に歯を染め、出産と同時に眉を剃るようになったことから、一般的に眉なしお歯黒は、既婚者の証とする風習となりました。

 

--明治時代--

明治維新以降は西洋文化が続々と上陸し、明治三年にはお歯黒と眉を剃る事が禁止されました。

明治6年には皇太后、皇后女官の歯黒掃眉が廃止されたことに伴って、一般の女性達も禁止になりました。

 

この当時の化粧品は未だに鉛白白粉と紅花から作られた紅くらいであったが、この時期に無鉛白粉が開発されました。

その理由は、歌舞伎の九代目団十郎中村福助が鉛白粉による慢性鉛中毒となり、梨園や華街のように、毎日白粉を塗らなければならない人たちだけでなく、一般庶民に至るまで大変な騒ぎになったからです。

 

明治11年には平尾商店というお店から「化粧水」として「小町水」が販売されました。

それを火種に、次々に様々な化粧水が世に出回り、化粧水ブームが起きました。

さらに明治後半になってやっと、「化粧品」という概念が確立されました。

それまでは売薬問屋が販売している薬の部外品として取り扱われていたもので、商品価値が大変低かったのです。

そして新聞や雑誌などによる宣伝は活発になり、化粧品産業の基礎が固まった時代です。

 

--大正時代--

この頃にはメイクアップ化粧品、基礎化粧品、香水、石鹸、歯磨き粉などの洋風化粧品の種類が増し、一般大衆までに広まりました。


--昭和~現在--

昭和初期は化粧品にとどまらず化粧法までも多種多様化しはじめた時代です。

仕上がりに合わせてベースメイクを変化させる手法、

リップスティックの登場、

アイシャドーを使った目元の化粧の流行など。

洗顔も重視されはじめた時代であり、洗顔クリームが登場したのも、この時代でした。

第二次世界大戦終了後にはグローバル化が著しく進行し、メイクアップ化粧品、基礎化粧品、フレグランス、男性用化粧品などと、化粧品だけでなく化粧法までも世界共通のものとなりました。